京都において陶器窯が誕生するのは、日本の他の地域よりずっと遅れた16世紀後半の安土桃山時代である。
この当時、日本の首都で政治・文化・経済の中心であった京都では、公卿や諸侯・武士や町人など、身分を問わず盛んになった「茶の湯」のために、茶器の需要が急激に高まり、この供給地として膝元の京都の陶業が盛んになり始めた。17世紀初頭の江戸時代には、茶の湯は一層の流行を見せ、茶人等が陶工を京都に呼び寄せたり、登り窯も築いたりしたため、京都のやきものが隆盛を極めるようになった。
 新興まもない京焼の陶工は、茶人の多様な嗜好に応えるために、中国や朝鮮から伝来の進んだ技術や、他地方の技法を貪欲に吸収し作風に取込んでいった。この結果、陶工ごとに、創意工夫に満ちた独創的な作風を生み出すようになったといえる。
 京焼とは、他地方における固有の陶法を基本にするやきものと異なり、独創性に富み、多彩で作域・作風の広がりの大きい、多種多様なやきものの世界である。
名工達
長次郎(ちょうじろう・生没年不詳)
茶のやきものの創造と京焼のあけぼの
桃山時代の楽焼の陶工で、現在15代を数える千家十職の茶碗師・樂家の初代。
千利休の創意を受けた茶碗など、赤楽茶碗、黒楽茶碗の名作を数多く遺す。
 

道入(どうにゅう) 慶長4年~明暦2年 (1599~1656)
造形と色彩で装飾美を高めた楽焼の新展開
樂家の三代で、名は吉兵衛、通称ノンコウ。
千宗旦や本阿弥光悦との交流も知られ、樂家歴代でも
傑出した名工との誉れが高い。
茶碗も透明釉をかけた赤楽や、光沢があり幕釉・
蛇褐釉・黄ハゲ釉を用いた黒楽など、長次郎以来の
古楽にない新しい技術を駆使しながら、薄作りで、造形も一様でないのびやかな作風の名品を数多く生み出した。


野々村仁清(ののむら・にんせい) 生没年不詳
京焼を象徴する。華麗な色絵陶の世界
江戸初期の陶工で、京焼を代表する存在。
もと丹波の人で、京で仁和寺の門前に築窯して、御室焼を創始、本名
の野々村清右衛門と仁和寺にちなんで「仁清」を名乗った。


尾形乾山(おがた・けんざん)寛文3年~寛保3年 (1663~1743)
斬新なアイデアとデザインで京焼をリード
呉服商・雁金屋尾形宗謙の三男で、幼名を権平、のちに深省と改名する。


奥田頴泉(おくだ・えいせん)宝暦3年~文化8年 (1753~1811)
京焼を変える中国風磁器の開発
仁清・乾山も含め、和様一点張りであった京焼に
中国趣味をもたらした陶工。


青木 木米(あおき もくべい) 明和4年~天保4年 (1767~1833)
やきものに映し出される文人好みの瀟洒
江戸後期に流行した文人趣味や煎茶の流行を背景に、煎茶器を中心にその陶才を
発揮した名工。
幼名の八十八と屋号の木屋を合わせて木米と号した。
青磁・白磁・染付・交趾などの、中国の釉法と陶技を用いながら、文人趣味に合う中国風の趣向を表現し、優れた画才は絵付けにいかんなく発揮された。
 

仁阿弥 道八(にんあみ どうはち)天明3年~安政2年 (1783~1855)
伝統を洗練させた、和風京焼の真骨頂